瞑想の仕方

1.

日の出と日の入り前後の30分間がベストの瞑想の時間帯です。可能ならばこの時間帯に20分間、瞑想の時間を設けます。(20分必ずしなくてはいけないと思う必要はないです。無理な時は5分間でもよいでしょう)

2.

始める前に半身浴(手足、目、顔、首に水をかけ心身をリフレッシュさせます)もしくは冷たいシャワーを浴びましょう。

3.

清潔できれいな邪魔されない静かな場所を選びましょう。

4.

毛布やマットなどを敷き、結跏趺坐、できない人は半跏趺座で座ります。必要ならクッションをお尻の下に当てがって膝にかかる負担を減らします。

5.

背筋をまっすぐに伸ばし力を抜いて、上体を前後に揺らします。手を組んで手前に引き寄せた足の上に置きます。(この体勢で長くは我慢できないような痛みがある場合はリラックスしてもかまいません。なるべくこの姿勢に徐々に慣れるようにしましょう)

6.

正しく呼吸できているかを確認します。腹式呼吸で下腹部からゆっくりと息を一杯に吸い入れ、また下腹部から息をゆっくりと吐き出していきます。

7.

ゆったりとした呼吸のリズムが落ち着くまで少しの間集中します。

8.

自分の周りや内側に存在する無限の愛や無限の意識について考えます。それ以外には何も存在せず無限の愛に包まれていると考えます。このイメージが広がって自分の意識が和らいでいくのを感じましょう。(これは視覚的ではなく感覚や観念でもいいです)

9.

このイメージを持ち続けながら、呼吸に合わせてマントラをゆっくりと唱えます。”Baba Nam Kevalam” ―――この意味である『愛は全てに存在する』を考えます。

10.

自分が限りない愛や無限の意識と一体であると感じます。そして自分自身がその愛や意識そのものであることを感じましょう。

11.

もし気が散って雑念が湧いてしまっても、別に気に留めることなく、再び、全てを包み込む無限の意識へとイメージを広げていきましょう。

 

良い瞑想をするコツ

人間は、客観的な生き方には満足せず、相対世界の限界を超えようと霊性の科学の助けを借りて主観的な自我の奥深くへと潜入するのです。そして永遠の至上我を楽しむのです。これは深い瞑想を通して達成が可能なのです。



良い瞑想をするには ?

1. 障害を減らす

スマホや携帯電話のスイッチは切って友達や家族には瞑想中は邪魔をしないで欲しいことを伝えましょう。ドアを閉め目を閉じて普段の生活している世界から離れましょう。このことはとてつもない心理的な効果をもたらします。もし瞑想をしている間にドアホンの鳴る音が聞こえたり、電話が鳴ったりしたりしても、それに出ようとしたり、誰かが話しかけてきたら答えなきゃと思っていると集中することはとても難しくなります。完全に瞑想をすることに気を集中させて周りの人々にこれは自分にとって重要であることを伝えましょう。彼らもわかってくれるでしょう。瞑想をしているときは邪魔されたくないと心に決め電話は留守番電話にしておくなどし、瞑想を心置きなく楽しめる環境を作りましょう。

2. 同じ時間帯に毎日瞑想をする 

瞑想を何年も続けている人々はいつも朝の6時と夕方5時半頃瞑想をいつもしているとその時間帯になると瞑想が自然にしたくなるといいます。

最善の瞑想の時間帯は日の出と日の入りの時間帯だと言われています。

もし瞑想を真剣に取り組みたいならば規則的に毎日行うようにすることはとても重要です。一日に二度。朝元気にエネルギーを補充して一日を始められるように、そして夜リズムと調和を我々の生活に見出すために行います。一日に二度瞑想をすることによってこの世界と我々とのリズムを結びつけることができます。そして規則的に毎日行うことはとても大切なのです。仕事に遅れそうで急いでいたとしても5分や10分は瞑想をしましょう。

瞑想を始めたばかりの人々は瞑想をする時間を見つけるのを難しいと感じるようです。それならば自分の日常のスケジュールを書き出して瞑想ができる時間帯を見つけることもできます。瞑想をずっと続けている人は体も心も深く休めることができるので実際に寝る時間が少なくてもすむようになるようです。そして1時間から3時間あいた時間を使って瞑想の時間に当てている人々もいます。

人生が意義あることだということを忘れてはいけません。人生に目標を持たなくてはいけません。我々の人生において目標や意味が見出せないと限りのない至福(アナンダ)を得ることができません。金持ちも貧乏人も、教育を受けている人も受けていない人も、今日肉体的にも精神的にも霊的にも苦しんでいるのです。それはなぜでしょうか?それは彼らの人生に究極の目標がないからです。人の心はこの限りのある世界の中で物質的な幸せを求めても決して満足することはできないのです。

3. 一日に二度規則的に

これは瞑想をよりよく行う上で鍵となります。瞑想について深く探求したいのなら、一日も欠かさず規則的に瞑想を行うようにする―――これはとても重要なことです。それはまるで一個の輪を日ごと付け足していってできる鎖のようなものです。全体として見れば瞑想の効果は絶大でとても役に立つものなのです。ところが、いったん瞑想を欠かすと、鎖がつながらなくなってしまいます。心を強くするためには一回も欠かさないことです。妥協しないことです。たとえ急いでいるときでさえ、5分でも10分でも瞑想はできるものです。最初は難しいかもしれませんが長い間規則的に行っていると自然にできるようになるのです。

4. 同じ場所で瞑想を

部屋の隅や小さい部屋を瞑想の部屋に選びましょう。部屋をきれいにして、そこで規則的に瞑想をしましょう。同じ場所で瞑想をしているとそこの場所がとても自分にとって意味のある場所になってきます。その決まった場所に行くと自然に瞑想がしたくなります。もちろん、事務所や車の中、バスや戸外で瞑想してもいいでしょう。しかし、最初は独りになれる静かな場所で瞑想をするほうが集中しやすいです。

5. 空腹時に瞑想を

食べた直後は体内のエネルギーは食べ物を消化するために使われています。食べ過ぎると体が怠慢になり瞑想の集中が阻害されてしまいます。したがって、空腹時の方がより瞑想がし易い状態にあります。とてもお腹が空いていて我慢できないときはコップ一杯のジュースかミルクを飲むか、バナナ一本口にする程度に留めましょう。あまりにお腹が空いていても瞑想に集中できませんから


6. 背筋を伸ばし楽な姿勢で

瞑想が適切に行われると、すさまじいエネルギーが背骨を通って上昇していきます。うなだれたり前かがみになって座るとこのエネルギーの流れや呼吸、集中力をも妨げます。ですからできるだけ背筋をまっすぐに伸ばして座ることはとても大切なことなのです。瞑想を始める前に、関節をほぐすストレッチをしたり、上体を前後に揺らしたり、また人によっては、お尻の下に小さめの枕を敷いたりすることで、背筋をまっすぐに保ち、楽に瞑想のポーズを維持できるようになります。

楽な体勢でいられることは瞑想で集中を続ける上でとても大切なことです。もし、クッションなどを敷いたりしても、腰を下ろして座るのが無理な体勢であるならば、椅子に座ってもいいでしょう。一日に二度ストレッチ運動に伴い、こうした姿勢を一定時間保つ機会を毎日設けることで筋膜や関節はほぐれて、数週間後にはより瞑想がし易い体に変わっていくでしょう。

7. スピリチュアルな人たちとつき合う

瞑想を続けていく中で様々な壁にぶつかるとき、同じ道を歩む仲間がいることは一番の支えになります。真剣に瞑想をする人々には毎週ごとのグループ瞑想の集まりは欠かせません。

アナンダマルガの会議やセミナーは瞑想の実践者たちをより一層スピリチュアルな実践行に浸らせ、また哲学の理解をさらに深める機会を彼らに与えてくれます。

8. 霊的に自分を高めてくれる本を読む

知性は、瞑想中は静かにしていなくてはなりませんが、同時にまた、成長と発達を遂げていかなくてはなりません。ですから、毎日少しでも時間をとって自分を高めてくれる書物に接することはとても勧められることなのです。瞑想をした後は心がクリアで穏やかで理解吸収し易い状態にあるので、数分間でもこの時間に当てましょう。


9. 瞑想のインストラクターと話をする

瞑想のインストラクターであるアチャリヤ(師範)たちは定期的にあなたの住む地域を訪問します。アチャリヤは瞑想に関する疑問や質問に答えてくれ、また個人的な瞑想法を教えてくれます。各地域に住むアナンダマルガのメンバーがいつアチャリヤが来て、セミナーやグループ瞑想など、どんな活動が行われる予定かを教えてくれます。アチャリヤは人生を奉仕に捧げ高度な訓練を受けた師範(出家僧)を云います。彼らの仕事は瞑想やスピリチュアルな実践行法を真剣に習いたいと願っている志望者たちに手ほどきを与えることです。あなたが直面している様々な問題や困難を解決する手伝いをしてくれるでしょう。ですからアチャリヤに会う機会を逃さないようにしましょう。アチャリヤの訪問を調整する担当の人に面会予約や相談等について尋ねてみて下さい。

10. 辛抱強く望む

多くの人々は瞑想を始めたばかりのころは期待していたよりもあまり瞑想が上手くできずに落胆したりストレスを抱えてしまいます。瞑想が上手くいかないのを自分のせいにし、劣等感を感じて瞑想を続けることをあきらめてしまう人もいます。瞑想をする誰もが何らかの形でこのような経験をしたことがあるはずです。自分以外の人たちも同じような経験をしているということを知るのも大いに助けになるでしょう。特に瞑想を始めたばかりの頃は気が散漫でなかなか集中できないかもしれません。かつて偉大なヨギであるラーマクリシュナは言いました―――「心とは酔っ払ったうえにサソリに刺され気が狂った猿のようなものだ」と。瞑想に座したとき様々な思いが心によぎるかも知れません。マントラを唱えていても別のものに考えが移ってしまうかもしれません。耳障りな音なども集中を阻害し体が落ち着かなくなるかもしれません。こういうときには瞑想をしていても時間の無駄だと感じるかもしれませんが、瞑想から得られる効果は心の奥深くからくるものなので .即座に成果が表れるものではあまりないのです。考えが別のところに及んでもマントラに心を戻して、集中する練習を積み重ねることによって安定した心を作り出すことができるのです。