P.R.サーカー師

アナンダ・マルガの創設者、サーカー師とは

 

プラウトの提唱者でもありアナンダ・マルガの創設者でもあるプラバート・ランジャン・サーカー師(Shrii Prabbat Ranjan Sarkar 1921年~1990)は、北インドのビハール州にあるジャマルプールという小さな町で生まれました。幼少のころから、その人並外れた知識と数々の奇跡的な行いは周りの人々を驚かせていました。そしてその人柄とその言葉に心うたれた数多くの人々が彼の元に集まり始めました。こうして彼は多くの人々に愛され、また彼自身もその大きな愛と深い慈悲と智慧をもって人々と接しました。それは徐々に年も身分も越えた人々の輪へと広がっていき、鉄道局の事務員として働いていた1955年、彼はジャマルプールでアナンダ・マルガを創設しました。その後間もなくして、彼のその理念と活動はインド全土へと広がって行きました。サーカー師は1979年に世界ツアーを行い、ヨーロッパ・台湾・フィリピンなどを訪れています。ネオヒューマニズムを掲げ、様々な圧力にも屈せず、人類社会に奉仕するその生涯は、言葉や人種を超え世界中の人たちに受け入れられました。

 

インドは数多くの霊的指導者を輩出してきました。P.R.サーカー師は、そういった指導者、グル(導師)としてもシュリー・シュリー・アナンダムルティ (Shrii Shrii Anandamurti) と呼ばれ、多くの献身者を集めています。しかし、彼を今までの単なるグルの枠に収めることはできません。それは、多くの斬新で興味深い理論や哲学を多岐な分野にわたって残しているからです。そのひとつに、包括的な社会・経済理論としてのプラウトがあります。今まで、社会や経済についてプラウトのような実践的な社会哲学を掲げたグルは誰もいなかったと言えます。サーカー師は、その理念体系と使命を人々に伝え残すことに全力を注ぎました。自分がマスメディアに取り上げられることを好まず、自らをカリスマ的に演出したりすることもなく、質素な生活を実践されました。その生涯は波乱に満ち、精力的に働きながら自らの理念を掲げ通した人生だったと言えるでしょう。故人ゆえ過去形で書いてしまいますが、サーカー師が残してくれた理念体系とその使命は、今もなお、多くの人々の心を捉え、こうして受け継がれて、生き続けています。